MMD動画【不明な提督が着任されました】 ~とある提督の物語とその結末~

 

概要

「不明な提督が着任されました」とは動画製作者のjem氏がニコニコ動画に投稿した一連のMMD艦COREの動画シリーズタイトルである。艦これとアーマードコアの2つのゲームを題材にしたもので、アーマードコアの登場人物であるはずの「主任」がなぜか提督として艦これ世界に着任、艦娘達を指揮して深海棲艦との戦いを繰り広げるという内容である。
 本動画シリーズは全7話+予告編で構成されており、「予告編」は2015年1月に第14回MMD杯の予選に投稿され、続くMMD杯本戦に第1話、第2話が投稿された。MMD杯終了後にも3話以降が順次投稿され、6月に投稿された最終話をもって堂々の完結を迎えている。

※なお、本記事内で使用している画像は全て当該動画よりキャプチャしたものです。また記事の一部に「ニコニコ大百科」からの引用部分が含まれています。リンクより大百科の記事に移動できますので、ご興味のある方はご利用ください。

主な登場人物

主任
 本編の主人公。艦娘を指揮し艦隊を率いる提督――なのだが、見ての通りのロボットである。一体どうしろというのか・・・。

 上図のロボットはアーマードコアシリーズに登場する人型兵器で、ACと呼ばれるものの一つである。本来ならACは人間(パイロット)が搭乗して操作する有人の兵器であり、全高が5~7mほどの大型のものであるはずなのだが、本シリーズではほぼ人間サイズのロボットである模様。当然ながらこんなサイズのロボットでは中に人間が乗り込むスペースなどあるはずもないが、主任に関してはそれは問題にはならない。なぜなら主任はそもそも人間ではなく、ある目的の為に創られたプログラムであるからだ。寿命も肉体も存在しない主任にとって、ACこそが自らの肉体なのである。
 主任はアーマードコアの劇中で自らに課せられた役割の下、何度となく敵として主人公の前に立ちはだかる。だが彼と最後まで戦い抜いた者は皆、彼の事を「誰よりも人類を愛した人形」と呼ぶ。




電(いなづま)
 提督である主任の秘書艦を務める艦娘。本作における語り部的存在。毎度のように主任に振り回される苦労人であるが、同時に秘書艦として最も近くで主任を見守る艦娘でもある――が、その認識が実は正しくなかった事を、視聴者は後に知る事になる。

 艦これにおける艦娘の一人で、旧帝国海軍の駆逐艦「電」を擬人化したキャラクターである。史実における駆逐艦「電」には大戦中、姉妹艦の「雷(いかずち)」と共に、海戦で自らの艦を失い漂流するイギリス兵、即ち敵兵を救助したと言うエピソードがあり、その時救助されたイギリス兵は「電」「雷」あわせておよそ800名にものぼる。
 艦これにおける電は史実のエピソードを反映してか、控え目でおとなしいが他者の助けになりたいという気持ちを強く持つ艦娘として描かれている。



キャロル(キャロル・ドーリー)
 主任同様アーマードコアの登場人物で、主任の同僚的存在。やはり人間ではなく主任と同じ目的の為に創られたプログラムであるが、「人間」というものに対して、やがて主任とその考え方を異にするようになる。本動画の世界においては既に過去の人物として、主任の記憶の中でのみ語られる存在である。




各話紹介

 以下に第1話~最終話を個別に紹介します。ニコニコ動画のアカウントをお持ちの方であれば各話のタイトルからそれぞれの動画に移動する事が出来ます。
 なお、予告編はこちらです。

第1話 ~不明な提督が着任されました~


「司令官さん・・・ですか?」
「そーだ! ・・・で?それが何か問題?」

 それはとある鎮守府の物語。秘書艦の電は新たな提督を迎えるために執務室の掃除に勤しんでいた。だがそこに強襲を仕掛けてきた――もとい、着任してきたのは、比喩ではなしに鋼の身体を持つ蒼きロボットであった!?  各方面からの総ツッコミもどこ吹く風。かつては「主任」と呼ばれていたらしいその男(?)は今は提督として、意気揚々と深海棲艦討伐に乗り出す。が、不明なる提督はその行動もまた規格外。秘書艦として補佐する電にとっては、それはハチャメチャな日常の幕開けであった。

※この動画、まず何に驚くかと言えば「フルボイスである」ということだろう。それもいわゆる”ゆっくり”やVOICELOIDではなく、艦これとアーマードコアのゲーム内で使用されている音声を抜き出し、それを組み合わせて会話を成立させてしまっているのである。それも、非常に自然なレベルで、である。切れ味鋭いモーションや小気味いいテンポのストーリー展開も相まって、ネタ満載であるにもかかわらず独自の世界観が構築されていて、視聴者はそこにあっさりと引き込まれてしまう。というか、演出やら脚本やらギャグやら技術やら、それらすべて込みで、制作者の説明力の高さに驚嘆するばかりである。




第2話 ~Dirty Worker~


「痛いの痛いの、飛んで行かないよぅ。」
「あ、そうなんだ・・・(さっと湯通し、修復完了)――じゃあ、頑張ってねぇ!」

 南西諸島海域、沖ノ島攻略を目指す主任たちは、しかし立ちはだかる敵艦隊を攻めあぐねていた。戦艦長門や正規空母の加賀、瑞鶴といった主力を持ってしても敵の強力な戦艦群を撃破する事が出来ず、艦隊は撤退を繰り返していた。だが彼等にとっての真なる敵はむしろ、鎮守府の慢性的な資源不足であった。燃料や弾薬がなければ出撃はできず、鉄鋼やボーキサイトがなければ艦や装備の開発はおろか傷ついた艦娘の修復すらままならない。一同は沖ノ島攻略を前に、まずは資源の調達に着手する。

※艦これのゲーム内では戦闘にも開発にも修復にもとにかく「資源」が必要で、これが枯渇すれば提督はほぼ何もできなくなってしまう。資源を調達する能力がそのまま艦隊の戦力に直結するため、全ての提督は戦う前にまず資源集めに奔走する事になる。そんな艦これプレイヤーたちのあるあるネタが満載されたこの第2話。当然のごとく主任(=jem氏)もまた例外ではなく、最終的に数多の提督が実践する潜水艦を用いた稼ぎプレイ「オリョールクルージング」に行き着く事になる。その運用コストの安さと修復にかかる時間の短さが災いして馬車馬のごとく働かされる事となる潜水艦娘。だがそんなあるあるネタすらもこの先の話の伏線としてしまうあたり、まったく抜け目が無いとしか言いようがない。




第3話 ~Trickstar~


「じゃあ、ちょっと遊ぼうか。」

 伊58、伊8、伊168ら潜水艦娘を迎え、資源の確保にひとまずの目処を立てた主任艦隊は、再度沖ノ島攻略に乗り出す。扶桑、日向ら新たなる戦艦を建造し、長門をはじめとした戦艦群を中心とした艦隊を編成、雪辱戦に臨む。対峙する彼我の戦艦群。沖ノ島を舞台に、戦艦対戦艦のガチンコ勝負の火蓋が切って落とされた! だが、勝利の女神の栄光が輝いたのは、彼女たちにではなく――?

※世の中には表舞台で世の脚光を浴びる者もいれば、裏方で陰ながら舞台を支える者もいる。光を浴びて輝く者もいれば、光を求めても影に甘んじる他ない者もいる。だが心せよ。陰に身を置く者たちもまた、鋭き牙をもつ事を。そして例え影にあっても己が牙を磨き続けた者だけが、栄光を掴む資格を得る事を。勝利の栄光と誇りに少女の瞳が輝く時、我々は勇気と感動を得るのである。




第3.5話 ~Stardust~


「――見せてみな、お前にその力があるなら!」

 沖ノ島を攻略した主任艦隊の次なる任務は、北方海域におけるキス島撤退作戦。キス島を包囲する敵艦隊を掻い潜り、島に孤立した守備隊を回収、撤退させなければならない。だが特殊な海流に囲まれたキス島に近づく事が出来るのは排水量の小さな駆逐艦のみ。非力な駆逐艦では戦艦をも含む敵の強力な包囲艦隊を撃破する事はおろか、その攻撃に耐える事すらままならない。対して主任がとった作戦は、「回避に徹して敵艦隊をやり過ごす」というものだった。かくして新たに開発された動力機関を装備して、持てる最大速度で敵包囲網を強行突破する未だかつてない電撃作戦が敢行された!

※とりあえず、「それは缶じゃねええええ!!」とツッコミを入れずにはいられない。艦娘×VOBの組み合わせは、主任砲や社長砲と並んで艦COREにおける「よくあるネタ」であるらしいのだが、それは本来どこまで行ってもネタであり、それ以上でもそれ以下でもないはずのものであろう。だがそれを、シビれる程に熱くカッコ良く魅せてしまう者がまさか居ようとは・・・まさにイレギュラーと呼ぶべきであろう。大がかりなギャグかと思いきや、艦娘のピンチに駆けつける主任のあまりのヒーローっぷりに一気に引きこまれる。そしてそこからのクライマックスはまさに、MMDの歴史に残る名シーンだと言えるだろう。そしてcosmos new versionの優しい歌声が戦いの終わりを告げる時、彼女たちの戦いを見届けた我々はわずか数分の動画でありながらまるで良質の30分アニメを見終わったような、気持のいい余韻に浸る事ができるだろう。
 ――あと、おまけも本篇である(震え声)




第4話 ~Ambiguity~


「“神様”は間違えている。世界を破滅させるのは、人間自身だ!」
「――黙れよ。」

 ある夜、電は自身が撃沈される悪夢に目を覚ます。それは単なる夢ではなく、遠い遠い、過去の出来事。全ての艦娘が持つ「不思議な記憶」だった。
 自身はいったい何者なのか、そもそも「艦娘」とは何なのか。
 何処から来て、何のために存在するのか――。
 そんな疑問をよそに、今日も今日とてセクハラ行為から殴り飛ばされている主任に、電はため息をつくのだった。

※不明提督シリーズのターニングポイントとなる回。この「物語」が単に艦これとアーマードコアのネタを用いた作品ではなく、2つの世界が同一世界線上にあるクロスオーバー作品である事が明らかになる。そして電が自らに問う「艦娘とは何か?」という疑問は艦これにおける最大の謎である。様々な二次作品の中で艦娘は人間であるとも、人造人間であるとも、付喪神のような霊的な存在であるともされているが、公式が明かしていないためその正体はいまだ不明なままである。そして彼女らの敵である深海棲艦の正体、さらに彼女らが戦う世界とはどのようなものであるのか、それらもそのほぼ全てが謎のまま、数多の提督たちの想像に委ねられているのが現状である。本シリーズはこの回にて独自の視点からその謎に踏み込む事になる。我々視聴者は主任の夢、即ち過去の記憶の中にその一端を垣間見る。
 そしてもう一つ、艦これの二次創作作品において「提督」は多くの場合「人間」である(まぁ、提督が動物だったり頭がハンマーヘッドだったりもするが)。これは提督がプレイヤーの分身であるという事と、もう一つ、「人ならざる者」である事の多い艦娘と対になる存在として、人間である提督が描かれるという意味合いも強いのだろう。だがしかし、この物語では主任という、明らかに人間ではない提督を用いる事でそう言った事情をむしろ逆手に取っている。最初はギャグにしか思えなかったこの「ネタ」だが、提督もまた艦娘同様に「人ならざる者」であるというこの状況は、後にシリアスな意味を持つようになる。




第5話 ~Fall~


「――居ないんだよ、味方も、敵も。」

 西方海域を解放目前にした主任艦隊の前に立ちはだかったのは、正体不明の未確認艦だった。倒されてもなお恐るべき執念で立ち上がり攻勢を強める未確認艦に主任艦隊は苦戦を強いられるが、激闘の末、ついに未確認艦を制圧する。力尽き沈みゆく未確認艦。その眼に最期に映ったのは、静かに語りかける主任の姿だった。

※史実ネタも含めて熊野の「帰投」に涙腺がダメコンを要求してくるが、その一方で前回からの続きとなる重要な伏線が隠されている回でもある。それは艦娘たちの記憶や人格の元となる「データ」が存在している、という事である。艦娘たちはそのデータを「インストール」されて生まれてくるのだ。プログラムである主任と艦娘は、実は近しい存在である事が窺い知れる。艦娘たちが実は保存されているデータをもとに、肉体を替えて何度となく生まれ直しているのだとしたら? そして主任の言葉の通り、彼女たちには守るべき国も、帰るべき故郷も、復讐する敵さえも、もしも本当に存在しないのだとしたら? 彼女たちの戦いに、その「生」に果たして意味などあるのか?
 だがそれでも、主任は彼女たちを「人間」と呼ぶ。




最終話 ~Day After Day~


「次ニ、生マレテ クルトキハ 平和ナ 世界ダト、イイナ・・・」
「――オレはそうは思わん。」

 相も変わらず艦娘相手にセクハラを繰り返す主任。だが彼の下に届いた一枚の書類が、鎮守府に激震を走らせる。そして主任の新手のセクハラが、鎮守府をかつてない混沌の戦場へと一変させる! ケッコン(狩)――何も間違ってはいない。砲火と爆音と怒号と笑い声が飛び交う中、電はただただ途方に暮れる。しかしそれは名も無い神様の、ひとつの愛のカタチだった。
 延々と繰り返される、決して終わる事のない馬鹿騒ぎ。例えそれが茶番だったとしても、遠い遠い世界で神様が見守り続けるそれは、きっとまぎれも無い、とあるひとつの命の唄。

※第4話、第5話と続いたシリアス展開から一転、最終回がまさかのギャグ展開。これでどうやってオチをつけるんだと心配するも、やはりこのシリーズはイレギュラーだった。ラスト3分からの伏線を回収しつつのどんでん返しは圧巻。何よりも、艦これという公式のストーリーが事実上存在しない――即ちエンディングが存在しないゲームを題材に、アーマードコアとクロスオーバーさせつつも独自の世界観を構築して、見事に「結末」を描ききった事こそがこのシリーズの最大の「功績」ではないだろうか。艦娘とは?深海棲艦とは?そして彼女たちが戦い続ける世界とはどのようなものなのか? このシリーズはそれらのほぼ全てが謎のまま、数多の提督たちの想像に委ねられている「艦これ」の、もしかしたらそうであるかも知れない一つの「可能性」であり、一つの結末――即ち、「艦これ」という世界のエンディングの一つのカタチなのかもしれない。

 なお最終回のサブタイトルの「Day After Day」は本動画のエンディングに使われている曲のタイトルで、タイトルの意味は「来る日も来る日も」である。叶わぬ願い、たどり着けない理想を胸に、なおもがきながら日々を繰り返し続ける心を歌った曲であるが、してみれば主任が最後に打ち上げた「祝砲」は、ままならないものを抱えながらなお日常という名の戦場を戦い続ける全ての人へ向けた、熱いエールであるのかもしれない。

「戦いこそが人間の可能性。
 それがたとえ終わりのない茶番だとしても、
 オレは見たいんだよ。こいつらの、人間の可能性を。」